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身延山開創750年記念年番奉仕団体参拝

2024年3月5日

身延山開創750年記念年番奉仕団体参拝

11月22日東京西部宗務所主催身延山開創750年記念年番奉仕団体参拝に本納寺から7名が参加しました。久遠寺の大自然の中の大法要や御祈祷に心を洗われ、帰りのバス車内ではビンゴ大会も開かれるなど楽しい一日となりました。


In Sri Lanka

2024年2月15日

In Sri Lanka

    友人から誘われ、このたびスリランカへ行ってまいりました。珍しく法事の予定がなく、またコロナもすこし落ち着いてきた時というグッドタイミングなお誘い。
 旅の目的は、戦没者慰霊と仏教寺院の日曜学校視察、仏教遺跡参拝で、五名のツアーです。
 日本から九時間半のフライトでコロンボのバンダラナイケ空港に到着しました。今夏の日本がとてつもなく暑いせいか、東南アジアのスリランカの方がちょっと過ごしやすく感じる不思議。
 公用語シンハラ語で「聖なる光輝く島」という意味を持つスリランカ。空港からホテルに向かう道すがら、早速その名のとおりの素晴らしいサンセットを見ることができました。
 さて、楽しみの食事はやはりカレーです。ダル(豆)、チキン、シーフードとさまざまで、ココナツで煮込む辛めのものが主流。お米はパラパラとした食感のインディカ米です。お皿の中央にごはん、その周りを囲うように数種類のカレーを盛るのがスリランカカレーのスタイル!ごはんとカレーを少しずつ混ぜ合わせ、味の変化を楽しみます。とても美味しいのですが、どこへ行ってもカレーばかり出てくるものですから、旅の終わり頃には、カレーはもう・・・という感じでした。
 初日はニゴンボという漁港町に宿泊です。
 朝食後、さっそくフィッシュマーケットの見学に行きました。種類も豊富なギラギラした魚たちが台の上に並べられています。アジ・カツオ・マグロ・タチウオ、イカや大きなカニなどなど・・・。気温も高く強い日差しが照りつける中、ときおり上から水をかけるだけの品質管理ですから当然魚のにおいもキツく、履いていたビーチサンダルについたにおいがなかなかとれず苦労しました。マーケットの先には漁港があり、周囲の砂浜に水揚げされた膨大な数の魚が開かれ干されています。まるで魚の絨毯のような光景でした。
 そのあと同行のYさんが以前ガイドしてもらったというサラットさんのお宅を訪問しました。「ガイド御殿」ともいえる豪邸には、本納寺の祖師像と同じくらい立派な釈迦像がありました。
 サラットさんが「コロナでガイドの仕事に大打撃を受け、体調を崩しガンになり、泥棒にも入られたりして、近年とても大変ではあったが、今こうして元気でいられるのはお釈迦さまのおかげです」と、さらりとお話になるのを聞き、スリランカの方の信仰の篤さを垣間見た思いでした。
 7割がシンハラ人、2割がタミル人、そして1割がスリランカ・ムーア人という構成のスリランカは、仏教を国教としながらも、ヒンズー教、イスラム教、キ
リスト教などさまざまな信仰を持つ人々が住んでいます。人口の約70%が仏教を信仰しており1,400万人の信徒がいるとされていますが、近年、中東資本の影響が強く、これに伴ってイスラム教が増加し、今後の仏教のありかたが危惧されているとのことでした。
 夕方には、ニゴンボラグーンの南部にある運河をめぐるサンセットクルーズに出掛けました。オランダ政権時代にスパイスなどの物資を運んでいた延べ長さ約 1 0 0キロメートルほどの運河で、周囲には当時建てられた教会や漁村があり、歴史を感じさせる観光スポットです。離れ小島には猿が生息しており、餌(椰子の実)をくれと寄ってきます。甲板に飛び乗った猿があまりに近くにくるので、少したじろいでしまいました。美しいニゴンボの緑や民家、地元の漁師の船を眺めながらゆったりとした時間を過ごせるのでおすすめです。
 翌日は、旅の目的のひとつ、コロンボ市内のボレッラ墓地の中にある日本人墓地に移動。今から80年前の1942年4月5日、日本海軍がコロンボを空襲、4月9日にはトリンコマリーを襲撃しています。これらを含む「セイロン沖海戦」※(1)で犠牲になった方々の慰霊に訪問したのです。敷地内には牛が放牧されていて、のどかに雑草を食べていました。「達彦記」(つづく)



 

※(1)日本から見て南方の連合国の重要軍事拠点(香港、マニラ、シンガポール)から米英勢力を一掃することと、重要資源地帯(スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベス、マレーなど)を攻略確保することを目的としていました。この南方作戦の終盤に実施されたインド洋作戦において起きた戦いが「セイロン沖海戦」です。1942年3月8日、日本陸軍はビルマの首都ラングーン(現在のミャンマーの最大都市ヤンゴン)を占領し、全ビルマ制圧作戦を進めようとしていました。そのためには海路からの軍需品輸送が不可欠です。しかし、インド洋にあるセイロン島にはイギリス軍の二大基地、商港コロンボと軍港トリンコマリーがありました。

 

能登半島地震 お見舞い申し上げます

2024年1月18日

能登半島地震におきまして、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに被災された方々へこころよりお見舞い申し上げます

本年も宜しくお願い申し上げます。
昨年暮れの歳末祈祷会は、コロナ禍も少しずつ明けはじめ、多くの参列者のもと、盛大に開催されました。
また先日は中山法華経寺加行所に行僧面会に行った後、上野国立博物館で開催されている本阿弥光悦の大宇宙展に行ってきました。
本阿弥光悦は法華経の大信者で信仰に基づいた作品がたくさん展示されていました。書・蒔絵・屏風・器など美しい限りです。
3・10まで開催されていますので、ご興味のある方は是非。

令和5年歳末祈祷会のご案内

2023年12月13日

※日蓮宗壱百日大荒行とは
千葉県中山で毎年十一月一日から翌二月十日まで行われる日本三大荒行の一つ。法華経の
行者には多くの法難が降りかかるという。その法難に耐え忍び、人々の救済に命を懸ける
証として行われる苦行。寒中、一日水行七回・睡眠二~三時間・質素な粥食・ひたすら読
経三昧の壱百日。
死を覚悟した者だけが入行を許され、その壮絶な苦行に身を投じ、自らの霊験を高め、秘
伝の修法を授かる。

Steelpan&Percussion Duo  公開

2023年10月31日

Steelpan&Percussion Duo
とてもとても素晴らしかったです。
来れなかったからの要望をたくさんあって
まいたぺの奉納演奏UPしましたーーー

Steelpan&Percussion Duo お会式

2023年9月26日

お会式奉納演奏 10月17日 18:00〜 本堂 (入場無料)

お会式イベントが3年ぶりに復活しますー

法輪新調

2023年8月14日

法輪

このたび新盆供養によって、ご本堂の法輪が新しくなりました。
これまでの宝輪は色が剥げた木製で、外れて無くなっていたところも。
これらがすべてピカピカの銅製になりました。
法輪は「仏教の教義を示す物」「八方向に教えを広める車輪形の法具」として具現化され、卍と共に仏教のシンボルとして、寺院の軒飾りにも使用されています。

えにし塚

2023年7月29日

第二共同霊廟えにし塚

昨今の社会情勢の変化に伴い、当山の共同霊廟きづな塚の利用が増え、きづな塚内がいっぱいになってきました。
そこで、このたび第二共同霊廟えにし塚が完成しました。


石塔に彫る字を下書き中の住職の横でゴロゴロ。それはそれはご機嫌。

台湾法鼓山釈果暉師御一行御参拝

2023年5月30日

台湾法鼓山来寺

台湾法鼓山の釈果暉(洪鴻榮)師御一行(中華仏学研究所)が来寺。僧侶三師・御信者八名が御参拝されました。
釈果暉師は以前、立正大学の留学生でした。本納寺前のアパートに住み、毎朝の勤行にもお出でになり、修行にご精進されていました。信行会にも参加されていたので、ご存知の檀信徒もいらっしゃると思います。
この日は住職が一読したのち、釈果暉師御導師の元、ご法要を厳修しました。
その際、以前、法鼓山創立者の聖厳法師(1930-2009)が、当山客殿落慶のお祝いにご奉納くださった掛け軸をご披露したところ、法鼓山御信者からは“おー”と、どよめきがあがり、大変喜んでくださいました。
また洪さんと住職は昔の話で盛り上がり久しぶりの再会をお互いに楽しみました。
 御一行は御本堂参拝のあと、先代を訪れ、お帰りになりました。

※法鼓山創立者の聖厳法師(1930-2009)は、先代と親交があり、客殿完成の時にたくさんの信者さんと共においで下さいました。

東日本大震災 第十三回忌

2023年3月24日

東日本大震災 第十三回忌慰霊法要

小野正遠

あの東日本大震災から12年が経ち、今年、物故者の諸霊は第13回忌を迎える。私達は令和5年2月27日、28日の二日間にわたり、大津波の被害を受けた各所を巡って、御回向をさせていただいた。
毎年この時期に宮城県石巻市を訪れるようになったきっかけは、2011年3月11日、同市に住む本納寺の檀徒のお宅が、津波にのまれて流されたことだった。幸い死を免れた檀徒一家は、避難生活を送りながらも、元々建設土木業を営んでいるため、町の復興を志し、東奔西走していた。本納寺の住職は地震発生直後から随時、現地の檀徒と安否の連絡をとっていた。そして2012年2月、物故者の1周忌供養のために、住職と有志一行は石巻を訪れ、全校児童の7割にあたる74名が犠牲になった大川小学校や、北上総合支所、日和山、門脇小学校などでご遺族と共に、法要を行った。
時間はかかるが確実に復興が進んでいる、と感じるのは、慰霊訪問の度に風景が変わるからだ。川に突き刺さっていた橋や船がなくなり、建物の残骸が撤去され、仮住まいの避難住宅が沢山設置された。川沿いの土手や道が再生され、南三陸の港には新しい広大なコンビナートが出現した。失われた商店街は高台に形を変えて再建されたし、新しい橋も開通した。
新しい公園や建造物が増える一方で、大川小学校は3・11から時が止まったままだ。現在は立ち入り禁止が解けて、校舎の中庭まで入れる。海底のように暗く、静かな、朽ちた教室からは、今にも悲痛な叫び声が聞こえてくるようだ。今回は有志僧侶5人で、学校に向かって祭壇を整え、供養を修したが、養生テープで固定した仏具が次々と倒れるほどの突風が吹き荒れ、蛇腹の経本がバラバラっと一直線に校舎の方に吸い込まれていったりした。
檀徒一家が経営する会社の協力を得ながら一行は、火葬が間に合わず、多くの犠牲者の遺体を一時的に土葬していた桜観音や、凄まじい津波に襲われたことを後世に伝えるために、歪んだ鉄骨がそのまま保存されている志津川防災センターなど、6カ所において第13回忌追善法要を行った。
一行が宿泊した南三陸ホテル観洋は、震災発生当時、避難所として開放された、海にせり出した由緒ある大きなホテルである。28日の朝6時頃に大浴場から朝日が拝めるというので、急いで露天風呂に向かった。私が浴場に入った時は、ちょうど東雲に茜色のグラデーションが、視界いっぱいの水平線上に拡がっていた。次の瞬間、とろりと軟らかそうな太陽がゆっくりと顔を出して、三陸沖の向こう側から黄金の線がこちらに向かってまっすぐに伸びてきて、手元を照らした。海面に目を凝らすと、日の光線は海の鼓動に明滅を繰り返す、小さな光の粒の集まりであった。この日の出を、美しい海を、物故者の諸霊も宿泊客と同じように、どこかで見ているだろうか。私は朝日に向かって合掌し、小さな声でお題目を唱えた。

東日本大震災 第十三回忌


水引マスクチャーム

2023年2月25日

水引細工

お檀家のMさんが可愛いマスクチャームをくださいました。水引細工に落下防止のマグネットとチェーンがついています。
義務感の強いマスクですが、こんなふうにアクセサリーがあるだけで気分も上がります。日常的につけていてお参りの方に褒められたこと、ブラジルに留学する娘が「ぜひ向こうへのお土産にしたい」と言っていることをお話ししたところ、改めてたくさんくださいました!おかげさまで和風のいいお土産ができました。
手先の器用な向井さんは他にも、水引細工のついたポチ袋やのし袋、キーホルダーなど、いろいろ作って楽しんでいらっしゃいます。

賀来

2023年1月30日

干し柿

当山の墓地には柿の木が二本あります。
観音様のすぐ左にある大きい木は渋柿、もう少し左の小さい木は甘柿。
今年も収獲した甘柿を「ご自由にお持ちください」と玄関先に置きました。これが大好評で、毎夕方にはかごは空っぽに。
こうなるとなんだか渋柿ももったいないような気がしてきて、干し柿を作ることにしました。

 

文化勲章受章―別府輝彦師

2022年12月12日

ご受章を心からお慶び申し上げます



※写真インターネットより

 このたび本納寺檀信徒である東大名誉教授の別府輝彦師が文化勲章を受章されました。
日本の応用微生物学、バイオテクノロジーの基礎を築かれ、長年にわたり学界・産業界・科学行政への多大な貢献が認められての受章です。
 10月末に新聞の「今年度の文化勲章受章者発表」という記事を見ていたら別府さんの名前が載っているではありませんか。すぐに電話したところ「住職のお目にも留まりましたか」と穏やかにおっしゃっていました。
別府さんは物腰が柔らかく、私達にいつも丁寧に接してくださいます。このたびの輝かしい勲章は、私達の想像を超えた並々ならぬご苦労があったにちがいありません。不屈の精神で、別府さんのお人柄である「丁寧」を幾度となく積み重ねてきた結果の受章、当山ならびに檀信徒におきましても嬉しいかぎりです。

<以下新聞・HP等記事より一部抜粋です>

 文化勲章の親授式が3日、皇居・宮殿「松の間」で行われました。受章者6人のうち箏曲の山勢松韻さん(89)、日本画の上村淳之さん(89)、発酵学の別府輝彦さん(88)、歌舞伎の松本白鸚さん(80)の4人が出席し、天皇陛下から勲章が、岸田文雄首相からは勲記が手渡されました。
 陛下からは「長年努力を重ね、文化の向上に尽くされたことを誠に喜ばしく思います」とねぎらいのお言葉を頂戴しました。
 受章者は宮内庁で記者会見に臨み、別府師は授与式の後、陛下から別府さんの恩師の本を読んだことを伝えられたといい、「非常に感激した。晴れがましい勲章を頂戴できるとは夢にも思っていなかった」と話しました。

 

別府 輝彦( フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より)は、日本の応用微生物学者、東京大学名誉教授。
東京府出身。1952年東京都立戸山高等学校卒業。1956年東京大学農学部農芸化学科卒業。1961年同大学院化学系研究科農芸化学専門課程博士課程修了、農学博士。1969年東京大学農学部助教授、1977年教授となり、1993年同大生物生産工学研究センター長を兼任。1994年定年退官、名誉教授、日本大学生物資源科学部教授。1996年、紫綬褒章受章。2006年総合科学研究所教授。1998年微生物機能の開発とその利用に関する基礎的研究で日本学士院賞(山田秀明との共同研究)。2004年日本学士院会員。2009年、瑞宝重光章受章。2012年文化功労者。2022年文化勲章。
著書
『応用微生物学は種の多様性にはじまる』三田出版会 ステアリングシリーズ 科学技術を先導する30人 1990
『新・微生物学』I.B.S出版 バイオテクノロジーテキストシリーズ 2004
『新・微生物学』講談社 新バイオテクノロジーテキストシリーズ 2012
『見えない巨人微生物』ベレ出版 2015

回転椅子

2022年11月10日

好評ー回転椅子


秋彼岸から大玄関に置いた回転椅子が好評です。座る→靴を脱ぐ→くるっと回る→手すりにつかまって立つ。この一連の動きが大変スムーズにできるようになりました。材質もよくデザインも素敵です。ご法事、行事などでお越しの際に是非お使いください。

墓地に分蜂出現

2022年10月4日

秋季彼岸のお中日、墓地の八重桜にミツバチの分蜂(ミツバチの引っ越し途中)が出現しました。
墓参のお線香の煙にあぶり出され、一時騒然となる事態に。
業者に見てもらったところ「数日でいなくなる」「分蜂中のミツバチは滅多に刺さない」「駆除するなら殺虫剤を使うしかない」等いろいろアドバイスをもらいました。
検討した結果、見た目にはびっくりしますが、そのままそっとしておくことにしました。

2日後、「珍しいから見た方がいいですよ」と住職がお参りのお檀家さんを桜の木へご案内した時には、きれいさっぱりお引っ越しした後でした。
蜂いるいる詐欺!

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