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カテゴリー「IN CAMBODIA / VIETNAM」の記事

IN CAMBODIA / VIETNAM 4

2013年7月18日

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前向きな、熱気ある国カンボジアを後にして、ベトナム・ハノイへ。
1970年ベトナムは戦火の中でした。北ベトナムと、米国が軍事介入した南ベトナムとの戦争は、1975年、たくさんの被害・犠牲者を出しながらもベトナム国民自らの力で米軍を追い出し終戦をむかえ、ベトナムは統一されました。しかし、戦後40年経った現在でもその傷跡は深く残っています。
今回は首都ハノイ近郊にあるベトナム最古、仏教発祥の霊跡「仏跡寺」を訪問しました。ご本堂と観音堂で法味言上したあと、御住職ティエン法師にお話を伺いました。
「ベトナム王国は仏教国です。戦後、人々の心のよりどころである仏教寺院が見るも無惨な姿のまま放置されていていました。現在でもまだそのままになっているところがあります。そんな中、NPO法人「T・M良薬センター」が中心となって『日越仏教交流センター』が2004年、仏跡寺境内に建設されました。ベトナムと日本の仏教文化交流の拠点にしたいです」と説明してくれました。
この交流センターは、赤レンガ作りの落ち着いた建物で、建設時に寄贈されたものでしょう、日蓮宗の御曼荼羅が掲げてありました。現在はパソコン教室を開催したりして活用されているそうです(今回仏教支援としてパソコンを寄贈しました)。
境内の離れには孤児院もあり、学校帰りの子供たちを見かけました。みんな楽しく笑っていて、なんだかいい光景。施設に入ることができない孤児がたくさんいることを思うと、この施設にいる子供達は幸せな方なのでしょう。 ベトナム仏教はこれからもっと繁栄していくだろうと確信し、安心しつつ仏跡寺をあとにしました。
残りの日程では、ハノイ市街の一柱寺を参拝し、ホーチミン廟などを観光しました。文廟(孔子廟)では卒業式シーズンだったらしく、民族衣装アオザイを纏った女学生たちに遭遇。夜には水上人形劇を観たりもしてベトナムを満喫しました。
旅行中驚いたことは、この国には道路法規が無いのではと思うくらい、車がメチャクチャに走っていることでした。
毎朝フォーを食べ、そのほかの食事も充実していて満足でしたが、疲れからか、パクチーを食べ過ぎたのか、お腹の調子が。
そこだけが少し残念でしたが、たくさんの体験ができ、充実の研修旅行でした。<終>

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IN CAMBODIA / VIETNAM 3

2013年6月26日

NPO法人「T・M良薬センター」が支援するカンボジアの小学校の校長先生、サリンさんにお会いしました。
アンコールを巡っていたときにも見かけたのですが、カンボジアの児童はみんな楽しそうでした。今は日本でいう義務教育と同じで、みんな教育が受けられます。ただ児童の多いところでは、一度に児童を受け入れることができず、午前と午後の二部制になっているそうです。
サリン校長は私より若い方でした。
私が「若いのに校長先生なんてすごいですね」と言うと、「この国には年配の人はあまりいないのです」との答えが返ってきました。

私が小学校中学校のとき、「カンボジアの難民」のニュースを耳にしました。テレビには裸に布を巻いただけの人々が映っていました。サリン校長は、まさにそのタイ国境に追いやられた難民だったそうです。
当時カンボジアを支配していたポル・ポトは「腐ったリンゴは、箱ごと捨てなくてはならない」と唱え、政治的反対者を弾圧しました。戦慄すべき地獄がこの世に現出したごとく、わずか4年間で総人口800万足らずのこの小さな国で、200万から300万近くの人間が虐殺されました。実に6割以上が殺されたことになります。
生き残った人々の心には、永久に拭い去ることの出来ぬ悲しみと苦痛が刻み込まれています。サリンさんのご両親もこの時に殺されたそうです。
サリン校長は「私たち若者が頑張らないとこの国はダメになる」とおっしゃっていました。<つづく>

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IN CAMBODIA / VIETNAM 2

2013年6月2日

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次の日、いよいよアンコール遺跡へ。
アンコール遺跡群は、現在のカンボジア王国の淵源となったクメール王朝の首都の跡で、この遺跡に特に大きく関わったとされるのはスールヤヴァルマン2世(1113-45年)とジャヤー ヴァルマン7世(1181-1201年)です。
スーリヤヴァルマン2世は特にアンコール・ワットの建設を行い、その死後30年ほど後に王に就いたとされるジャヤーヴァルマン7世はアンコール・トムの大部分を築いたとされています。
「アンコール」とは王都、「ワット」とは寺院を表す言葉で、アンコール遺跡群の中でも有数の大きさを誇る遺跡です。ここはヒンドゥー教の寺院で、中央祠堂にはヒンドゥー教の三大神のひとつヴィシュヌ神が祭られていました。 現代の我々が見ても巨大な建築物、昔の人はどうやってこの大きな石を積み上げたのでしょう。
壁面にはヒンドゥーを代表する「マハーバーラタ物語」を描いた、細かい美しい彫刻がされていて、人類の偉大さとその神秘さに魅了されました。
アンコール遺跡の中で最大なのは、アンコール・トムと呼ばれる城郭都市の遺跡で、バイヨン寺院や王宮などの複数の遺跡を内包しています。
東西南北に城門があって、東側には「勝利の門」と「死者の門」の二つがあります。
仏教徒であった7世王は、仏法によって国内の統治、平和を目指しバイヨンを創建しました。バイヨンは須弥山イメージして作られたといわれており、四面体観世音菩薩がいたるところにあって、このころから大乗仏教が影響していたことがうかがえました。
アンコール遺跡をめぐった後は、プレループという遺跡から夕日を眺め、翌早朝はアンコール・ワットから日の出を観賞。日々の慌ただしさを忘れる穏やかな時間の中で、ジャングルに沈む太陽とアンコール・ワットから昇る太陽に感動しました。<つづく>

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IN CAMBODIA / VIETNAM

2013年5月20日

先日、カンボジア・ベトナムに行って来ました。 カンボジアの小学校、ベトナムの日越仏教交流センターへの仏教支援のためです。
日蓮宗寺院が母体となるNPO法人「T・M良薬センター」にご協力いただき実現しました。

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まずはベトナム・ハノイの空港を経由し、カンボジアシュムリアップ空港へ約七時間かけて到着。
バイクとトゥクトゥクがごったがえす交差点は、まさにアジアです。
夜の到着だったので、ホテルにチェックインする前に夕食になりました。はじめてのカンボジア料理、衛生的に大丈夫か心配しながら、おそるおそる口に入れましたが、ひじょうに素朴な味でおいしく頂けました。
そしてそのあとは、ガイドさんの誘いでカンボジアの結婚披露宴に参列することに。
カンボジアの披露宴は御祝$20で誰でも参加できるのです。七種の料理が食べ放題。カンボジアの音楽が流れ、みんなで輪になってカンボジアの踊りをしていて、私たちも「一緒に踊れ」と輪の中に引き込まれてしまいました。面白い体験でした。<つづく>

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