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カテゴリー「IN MYANMER」の記事

IN MYANMER 4

2014年7月19日

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名残を惜しみながらマイトリースクールを後にして、次は世界的に貴重な仏教建築群(世界三大仏教遺跡)のあるバガンに移動。
さかのぼること一千年、日本では平安中期の頃である。ミャンマーではビルマ族による国家統合が進み、仏教文化・バガン王朝が出現した。その興隆の姿が今日に残る仏塔(パコダ)・バガン遺跡群であり、今日のミャンマー連邦共和国の源流となっている。
早朝、空模様は怪しいが、朝日を拝みにシュエサンドー・パゴタの遺跡に登る。段々明るくなってきて、雲の隙間から太陽が出るかもと期待したが、結局拝むことはできなかった。それでも遺跡の上から見える景色は、一面のサバンナで、ぽつぽつと小さな遺跡が建っており壮大この上ない。そこここから日の出を見るための観光用気球が地面からポコポコ生まれてくるように飛び立ってくるのも面白い。日頃の慌ただしさを忘れ、ゆっくりした時間を過ごすことができた。
次にニャウンウーマーケットという市場へ。いかにもアジアという雰囲気の市場で活気に溢れている。野菜、果物、米、肉、魚などのほか日用品なども売っている。生ものを扱っているせいだろう臭いはそれなりにするし、衛生的にもどうかという感じではあった。市場の周りの道路には馬車も走っていた。 続いてバガン最大の見所、アーナンダ寺院へ。金色に輝く仏塔と四方にのびる大きな回廊、それぞれ四方に安置されている高さ10メートルくらいの四仏は圧巻であった。ガイドさんが、近くで拝するのと離れて拝するのでは、お顔が違うと教えてくれたので、何度も行ったり来たりして拝んだ。その後アーナンダ寺院とならんでバガンを代表する仏塔のあるシュエズィーゴォン・パゴタ等を観光した。
短い期間ではあったが、ミャンマーの人々の親しみやすさ、純粋さに触れられて、今までの目で人・景色を見ていろいろ感じ、考えるだけではダメで、今までとは違う新たな自分の目を持つと言うことが大切なんだと痛感した旅となり、充実の研修になった。
これからミャンマーは大きく変わっていくだろう。
日本は発展とともに「本当の良い生活とは、物質を多く享受する生活ではなく、豊かな精神と文化を持つことである」ということを忘れてしまっていた。どうか忘れないでほしい。(達彦記)<終>

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2014年6月4日

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いよいよ今回の旅のメインともいえるザガインのマイトリースクールに到着した。
先祖や親がハンセン病であるということから、家族ごと隔離され、差別にあっている人達に最低限の教育をと、NPO法人T・M良薬センターが建立した小学校である。
子供達は全くな健常者であるにもかかわらず、差別をうけ、以前はまともな教育が受けられなかったそうだ。ボロボロの藁葺き屋根で、雨風もしのげないような校舎。雨期があるこの国で、どれだけ過酷な状況だったことか。
それでも学校の通える子供はいいほうで、通学できない子供がほどんどだったそうである。
現在は、日本の学校とまではいかないが、立派な校舎が建ち、机や椅子、黒板なども揃っている。

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以前、そのT・M良薬センターのセンター長から、日蓮宗のカンボジアスタディーツアーに同行してもらえないかというお誘いを頂いたことがあった。子供達と一緒にサッカーをしてほしいという依頼だった。私がやってきたサッカーが少しでも役に立つのならと承諾したが、そのスタディーツアーの日程は学校の修復等で予定が合わないという理由で、残念ながら実現しなかった。
「それなら個別にスタディーツアーを企画しましょう」という別の依頼がきて、サッカーボールやサッカーゴール、ユニフォーム等を支援して、楽しんで喜んでもらおうということになったのである。
ミャンマーはサッカーが大好きな国である。
私達が到着すると、みんな笑顔で、手を振って迎えてくれた。
大教室に集まった子供達を前に、寄贈式が開かれた。さすが仏教国、私の挨拶をみんな合掌して聞いてくれる。
「私達はみなさんとお友達になりたくて来ました。サッカーは、ボールひとつで、言葉が通じなくても、年が違っても、性別が違っても、人を結びつけることができます」等と緊張しながらお話しした。
子供達の発育と幸福を願いご祈祷を厳修して、式は終了。

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いよいよグランドでサッカーの時間である。子供達は支給されたユニフォームとスパイクを身につけ登場。父兄なのか近所の方なのか、多くのギャラリーがいたせいか、胸を張って誇らしげな登場で、かわいい。キックオフすると目を輝かせ、みんな一心にボールを追いかけ始めた。いいプレーをした子に、ジェスチャーで褒めると、照れくさそうにしながらも、嬉しくて仕方がないという笑顔を返してくる。
実は「今回サッカーボールの支援をすると聞いたけど、本当に必要とするものはボールではないでしょ」という声もあった。もちろん生活のための物資の支援も必要で大切である。しかし、生活や勉学の余暇にする遊びや楽しみを味わう喜びは子供達にとっては貴重な機会に違いない。そしてそれは一緒にサッカーをしたあの子供達の満面の笑みが証明してくれた。
「悪い天気」で晴天、ピッチレベルでは40℃はあるのではないかという暑さの上、芝生(雑草)や砂利でボコボコのピッチ。日本の子供達はなんて恵まれているのだろうと改めて感じた時間でもあった。
ピッチの外では、保育士さんがサッカーをしていないたくさんの子供達に囲まれていた。折り紙をして遊んでいるようだが、人垣がすごくてどこにいるのか見えないほどである。どうやって折るの?このあとどうしたらいいの?と殺到して大賑わいであった。(達彦記)〈つづく〉

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2014年5月2日

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今回のミャンマーツアーの目的は、現地の保育園・小学校を訪問し、紙おむつ・粉ミルクなどの食料品・医薬品や教材・備品などの支援をし、一緒に遊んで楽しんでもらうことである。そんなわけで、いつもの仲間に加えて、M保育園の保育士の方々と合同での訪問となった。
最初に訪れたのは、ヤンゴンの孤児院。施設名を聞いたのだが、ヤンゴン2日目の僕には覚えられず、看板を見てもビルマ文字だったので、全く解らなかった。
中に入ると、ホールにはおもちゃやぬいぐるみがいっぱいで、1歳から3歳くらいの子供達がぞろぞろと30人くらいホールに出てきてくれた。顔に「タナカ」とよばれる白っぽい粉というかファンデーションのようなものを塗っている。みんな人懐こくてかわいい。「遊んでー」「だっこしてー」と寄ってくる。あとで聞いたのだが、子供達はおむつをしておらず、おもらししたら、着替えればいいということだったようだ。だっこしている最中おもらしする子がいなくてよかった。
M保育園の先生方は私達がホールで幼い子供達と遊んでいる間、奥の子供達の部屋へ行き、もう少し大きい子供達と用意してきた折り紙や手遊びをしたりして、過ごしたそうだ。言葉が通じなくてもコミュニケーションがとれて、楽しんでもらえたことに手応えを感じていた。きっと先生方にとっても貴重ですばらしい体験だったことであろう。
この孤児院は職員よりもボランティアの方が大勢いて、子供達はたくさんの人に囲まれていた。この施設に入っている子供達はかなり恵まれている方なのだろう。

次にルンビニーアカデミーという保育園を訪問。ここは少し裕福層向けの保育園である。小さな教室で子供達と対面。早速、M保育園の先生方が折り紙や紙風船を取り出し遊び始めるが、子供達は緊張気味。そこで紙風船をぽーんぽーんとしながら渡してみると、グシャっとする。また膨らまして渡すと、またグシャ。つぶすのが楽しいらしい。そんなことをしているうちに段々と打ち解けてなごやかムードに。
2階に上がって案内された教室では英語の授業をしていた。就学前の年齢にもかかわらず、かなり本格的な内容である。これまでのミャンマーは貧しく、ろくに教育を受けられなかったとのことだが、少しずつ発展してきた現在はこのように教育に力を注げるようになっている。
M保育園一行の反省のつぶやき「小さい子に、紙風船はダメだね」。

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マンダレーに移動してからの夕食は、ミャンマー女子サッカーのナショナルチーム代表K監督とご一緒することができた。現在のミャンマー代表監督は日本人なのである。言葉の通じない国でサッカーを指導するにあたってのエピソードや文化の違いによる苦労話は、サッカー好きの私にはとても面白く、興味深いものだった。翌朝、練習があるということで、出来上がったばかりのスタジアムに同行し、練習を視察させてもらえた。なかなかできない体験で嬉しい限りである。

この日は雲ひとつない晴天。いい気分でガイドさんに「今日はいい天気ですね」と言うと「ミャンマーでは太陽がでていると猛暑になるので、曇りの日をいい天気というのです。今日は悪い天気です」と返された。
ミャンマーの女性・子供達が顔に塗っている「タナカ」とは、ミカン科のタナカの木(小髙木)の樹皮の部分をすりおろしたもので、水で溶いて顔につける。日焼け防止や保湿・殺菌・肌荒れ予防などの効果があるとされていて、塗ってしばらくするとパリパリに乾いてくる。さらさらとしていて、ベビーパウダーのような触り心地の上、柑橘系なので清涼感があり、香りもいい。暑いミャンマーの気候にはぴったりである。

スタジアムを離れ、マンダレーからザガインへ向かう。途中マンダレーから車で一時間くらいの丘の上に日本人墓地がある。丘の上まではバスでは上がれず、トラックの荷台(ミャンマーのバス?)に乗り換えてガタガタ揺られながら昇っていく。丘の上は街が一望できてすばらしい景色である。
M保育園の保育士の方の曽祖父が戦時中ミャンマーで亡くなられたそうで、「ミャンマーに行くと言ったら祖母がとても喜んでいました」とのこと。日本人慰霊碑に戦没者の名前が刻まれていたので、みんなでひいおじいさんのお名前を探してみたが、残念ながら見つからなかった。慰霊碑前で読経し、謹んでご回向した。
「有難うございます。祖母に伝えます。」と保育士さんに感謝され恐縮。日本から遠く離れたこの地まで来た甲斐があったというものだ。(達彦記)〈つづく〉

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IN MYANMER

2014年4月10日

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ここ数年、仏教支援や仏教研修のためアジアツアーに出かけている。今回はミャンマーへ。
シンガポール経由でミャンマーヤンゴンに到着。アライバルビザの手続に時間がかかるわ、荷物を受け取ればいきなりスーツケースの鍵が壊れているわで、空港で既に前途多難な予感である。
建物の外に出ると、暑い!乾季で35℃くらいあるという。町は思ったより都会で、緑が多いが車も多く、渋滞も・・・。

昔はビルマとよばれていたミャンマーを少し紹介すると・・・、
19世紀後半に、イギリスによる植民地支配が始まる。20世紀中期、アウンサンの指揮により ビルマ連邦として1948年に独立を果たすが、アウンサンは暗殺され、後継者ウー・ヌーが初代首相に就任。その後少数民族勢力との武力闘争の過程で、軍事政権による独裁体制が続くことになった。国民への軍事政権による弾圧が続き、その軍政主導政治を非難し政治の民主化を求める欧米から経済制裁を受けるなどして半鎖国状態となり、経済が著しく停滞。20世紀後半から、アウンサンの長女であるアウンサン・スーチーを指導者とする民主化運動が台頭し、ようやく2011年軍政から民主化された。国内の政治的事情も改善の動きが見られたことで、米国やアジア各国間の急速な関係改善が進み、欧米日企業のミャンマー進出活動が活発化した。アジア最後の経済未開拓市場として 今後の発展が最も期待される国となっており、日本からも多数の企業が進出している。

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なにはともあれ、と、まずは巨大な寝釈迦牟尼仏を参拝。全長70メートル高さ17メートルもあり、南の仏像らしく目がくりくりと大きい。さすが90%が仏教徒という国の規模で到着早々圧倒される。
そのあとは早速初めての食事。とてもおいしかったが、なんだか高級な店構え。一食目なのでツアー会社が気を遣ってくれたのだろうか。 ミャンマーはお米の国だ。ポピュラーな料理はミャンマーカレー。カレーといっても日本やインドのカレーとは味もスタイルも異なり、スパイスのきいた煮込みといったほうがしっくりくる感じ。それをパラパラなご飯の上にかけて食べるのである。そしてもう一つ有名なのが国民的な朝食といわれる、モヒンガー。ソーメンに似た米麺を、ナマズだしの、もったりしたスープに入れて食べる。ホテルの朝食で口にしたが、これも美味しかった。
ヤンゴンで最も大きく賑やかなアウンサンマーケットでロンヂー(ミャンマーの民俗衣装)とミャンマーサンダルを購入した。
ロンヂーとは巻きスカートのような布で、軍人、警察官など一部の少数を除いて老若男女が毎日の生活に着用している。他の東南アジア各国で洋服文化が広まる中、頑なに伝統を保っているミャンマーでは、都市だろうが田舎だろうがみんなロンジーをはいていた。
この2点は大変心地よくミャンマー滞在中は、私達もずっとロンヂーにサンダルスタイルだった。

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夕方からはヤンゴン最大の聖地 シュエダコォン・パゴタヘ参拝。仏塔は金色に輝き、中にはお釈迦様の聖髪8本が祀られているといわれている。 昼間は石床の照り返しで40℃以上になるためお参りは困難とのことで、私達は日没前にお参りしたのだが、床はまだ熱を持っていて、ミャンマーではお寺に訪れるときには素足でお参りしなければいけないので、足裏が暖かかった。
境内の東西南北にはそれぞれにお堂があり仏陀像がそびえている。後光が電光なのが面白い。
仏塔の外周にはところどころ小さな祭壇があり、大勢の人で賑わっていた。ミャンマーの伝統暦「八曜日」の守護像である。
ミャンマーの人々にとって「八曜日」は生活の一部なのだそうだ。「何日に生まれたか」より「何曜日に生まれたか」が重要で、各曜日は方位・星・動物もあらわし、当該の方位に祭壇が据えられていて、その曜日に生まれた人の人生を守護してくれるといわれている。西暦の七曜制と違い、水曜日が午前と午後に分けられて「八曜日」となるとのこと。
祭壇の前では、それぞれ、その曜日生まれの人が熱心にお参りしている。私も「生まれ曜日」の土曜日の祭壇へお参りした。南西の方角で動物は龍、星は土星だった。
熱心な仏教国ミャンマーでは9割の男性が出家し、一通りの修行と教えを学び、最終的にそのうち2割が仏門に残り、僧侶となる。
象徴である仏塔(パゴタ)は国中に大小無数にあって、聖なる場所として大切にされている。ガイドさんも仕事がないときは必ずお参りにいくと言っていた。(達彦記)〈つづく〉

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