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カテゴリー「本納寺だより」の記事

古版木の再摺にあたり

2018年9月16日

古版木の再摺

さいしょう
にあたり   アダチ版画研究所 中山 周


 本納寺にてご所蔵の「法華経」及び「辨才天女像」版木2点の再摺についてこのたび、以前よりお付き合いのあった本納寺住職よりお話をいただきました。
 私どもアダチ版画研究所(東京・目白)は、江戸時代に浮世絵制作の技術として発展した伝統木版技術を継承する彫師・摺師をかかえる工房兼版元として昭和初期より活動をしております。現在、この技術を使って摺るものとしては、浮世絵の復刻版や現代木版画など多色刷のものが中心となっています。
 しかし、この伝統木版技術の歴史は、古くは奈良時代の仏教の経典を印刷したことに遡ります。多くの人々に仏教を流布するために、大量に同一ものが作れる木版技術が使われていたのです。まさに、今回のお仕事は、我々の技術の原点に戻り、和紙に墨一色で摺るという基本をさせていただいたことになります。
再摺の版木2点は、その目的からもわかるように大量に摺れるように、摩耗しにくい、堅い山桜の木が使用されています。作られた年代を特定することは困難でしたが、摺った際のかすれの具合から、かなりの枚数が摺られたことは、容易に想像できました。
 今回の再摺を通し、摺本を多くの人々が手にし、信仰の支えとなっていた様子を垣間見ることができました。伝統木版技術を継承する私どもにとりましても大変意義深く貴重な経験をさせていただきました。
                   

「法華経版木」の再摺

2018年8月15日

法華経版木が再摺されました



本納寺の内玄関に飾られている法華経の版木と、本堂辨財天像の脇に置いてある版木を、このたび再摺いたしました。
お身内のご法事で寺においでになった、立正大学仏教学部学部長の寺尾英智先生に、法華経版木再摺の構想をお話しし見て頂いたところ、「あまり古くなると摺ることができなくなってしまうから、できるうちに」」と勧めてくださったことがきっかけとなりました。先生は、お忙しいにもかかわらず、この版木の年代や特徴なども調べてくださるとのこと。詳しいことが判明したら、また寺報にてご報告いたします。
作業は目白のアダチ版画研究所に依頼しました。
今回再摺された法華経は大玄関に飾ってあります。

まだ調査中ですが、現在わかっていることは以下のとおり。
・版木の本文(読み仮名)の特徴は「慈海版」という版木の特徴と一致する(先々代の『法華版経の研究』を参照)
・手元にある天保の「慈海版」の写真と版面を照合した結果、形態は一致したが、文字の形の細部に小異がみられる
・「慈海版」版木には元禄版・天保版が知られるが、ほかにも元治版や明治版が存在するようである
・以上の事柄から、天保版以外の「慈海版」である可能性が高い。確定するには元禄版をはじめとする諸版との詳細な照合が必要である

ナスとれました

2018年7月23日

雑司ヶ谷ナス収穫

「雑司ヶ谷ナスをまた雑司ヶ谷で」という思いから始めたナス栽培。おかげさまで毎週数個ずつ収穫できています。
お盆のご法要のお供えを目標に「頼むよー」と声を掛けながら水やりをしていましたが、そうそううまくはいかないもの。お盆法要の日には、取るには早い小さいナスばかりでした、、、
初めてのナス栽培で上手く育つか心配でしたが、たくさんの方がいろいろ教えて下さり、無事に収穫できて嬉しいです。
さて、お味の方はというと・・・絶品です!自画自賛!

「雑司ヶ谷ナス」は、この江戸東京野菜のひとつです。別名を「山ナス」といい、江戸から大正時代にかけて雑司ヶ谷地区一帯で栽培され、味が良いと評判だったそうで、徳川幕府に献上されていたという記録も残っています。
2011年にJA東京あおばが、農業生物資源ジーンバンクからタネを取り寄せて栽培を開始、「雑司ヶ谷ナス」が復活しました。

ナスはじめました

2018年6月12日

江戸東京野菜「雑司ヶ谷ナス」


 昨夏のことです。「雑司ヶ谷ナスについて教えてほしい」と、高校生が訪ねて来ました。私は、「雑司ヶ谷ナス」という名称を聞くのも初めてだし、何も知りませんでした。
そこで、その場で学生とPCで調べてみたところ、江戸東京野菜のひとつに「雑司ヶ谷ナス」というものがあることがわかりました。早速JAに電話をかけ、江戸東京野菜に詳しい担当の方に話をきくことができました。

 江戸東京野菜とは、江戸時代から東京に至る中で、江戸市中や近郊で栽培されてきた野菜(練馬大根・吉祥寺の東京うど・新宿の内藤唐辛子など)のことです。子どもでも食べやすいように 品種改良されている現代の野菜と異なり、 野菜本来の味を楽しむことができます。

「雑司ヶ谷ナス」もそのひとつで、別名「山ナス」と呼ばれ、江戸から大正時代にかけて雑司ヶ谷地区一帯で栽培されていました。
現在、豊島区といえば池袋副都心のイメージで、農業とは無縁な感じがしますが、かつては農業が盛んに行なわれており、江戸時代、徳川幕府に献上されていた記録も残っています。

 JA東京あおばでは、農業生物資源ジーンバンクからタネを取り寄せて栽培を始め「雑司ヶ谷ナス」を復活させました。現在は練馬や板橋の一部の農家が、少量ながら栽培をしているとのこと。
そこで「雑司ヶ谷ナスをまた雑司ヶ谷で」という思いから、当山の門脇で栽培を始めました。お盆のお供えにしたいと思っています。なにぶん素人なので、上手く育つかわかりませんが、収穫できる日を楽しみに水やりをしています。
 
このナスは、小ぶりで皮がかたく、味は甘い。熱を加えると、とろみが出るのが特徴だそうです。

Learn Buddhism

2018年5月2日

仏教を学びましょう

 先日、池袋のインターナショナルスクールから17・18歳の生徒に向けての講演(授業)の依頼を受けました。
 学校では、民族と文化の週間ということで、殊に仏教についてお話してほしいとのことでした。
 インターナショナルスクールには、様々な国籍、またキリスト教・イスラム教の生徒も多くいると聞き、どうお話したものかと困惑しましたが、いざ始まってみると、みんな積極的で元気がよく、こちらからの問いかけにどんどん反応してくれました。ワイワイ笑いながらの講演会となり、あっという間に終了時間でした。良い機会を頂き、こちらにとっても大変勉強になりました。

寺ねこニイ

2017年6月12日

遊んでください

昨夏、墓地で保護された2匹目の寺ネコ、ニイが1歳になります。ニイは、やんちゃですが、先住猫(3歳)のレイと違って人懐っこい性格で、ネコ好きのお檀家さんに抱っこしてもらったりして可愛がられています。

再会-In Guilin

2017年5月20日

桂林 帥民風先生  


 三月下旬、中国桂林に行く機会がありました。住職の書道・篆刻の師であり、以前本納寺の写経会で指導してくださっていた帥民風先生にお会いできました。十三年ぶりの再会でした。
 使う機会があまりないということでしたが、日本語もまだまだお上手で、懐かしい話に花が咲き、あっという間に時間が過ぎていきました。
 帥先生は現在、広西大学美術学院の学院長をお務めです。
 作品を下さいましたので、本納寺に展示しました。

東日本大震災七回忌法要

2017年5月1日

まだまだ復興は終わっていない 影山海雄  

 ¦¦まだまだ復興は終わっていない¦¦
 武山興業の社長がおっしゃった一言を重く受け止める今回の慰霊法要でした。
 
平成29年2月22日、本納寺の住職を中心として、日蓮宗教師4名で東日本大震災における犠牲者慰霊のために宮城県石巻市を訪れました。石巻市に構える武山興業は本納寺の御檀家さんで、平成23年の東日本大震災において甚大な被害を受けました。その直後から、この一行は毎年石巻を慰霊の為に訪れており、今回が6回目となります。
仙台駅からレンタカーを借り、高速を降りて「上品(じょうぼん)の郷」という道の駅へ。今回の法要に使用するもの(お米やお花等)を買いお昼を食べました。私は天ぷら蕎麦を頂きましたが、隣の上人は海藻のたっぷり入ったラーメン。やっぱり現地の特産物の入ったものにすれば良かった・・・(天ぷらが石巻自慢の野菜でしたらすいません!)と思いつつも美味しく頂きました。
その後、武山興業にお邪魔して衣に着替えをさせて頂きました。流れの穏やかな北上川沿いに位置する武山興業は従業員の皆様も穏やかな雰囲気で温かく迎えて下さいました。
この度慰霊法要をさせて頂く場所は以下です。
・旧北上総合支所跡
・大川小学校慰霊塔
・旧武山邸跡
・日和山(ひよりやま)山頂
 武山興業から法要の場所までの道中、10メートル以上の高さはあると思われる堤防がたっておりました。「毎年景色が変わっていくな・・・」とつぶやく本納寺住職の言葉が印象的です。復興が少しずつではありますが、進んでいる姿を見ることが出来ました。
 この度は、最初の2か所で事前に法要を行う旨が告知されていた(新聞にて)こともあり既に会場にはご遺族の方や土地の方がいらっしゃっています。2月の、肌を刺すようなからっ風が吹く中、寒い寒いと感じておりましたが、ふと当時のことを想像します。あの日も雪が散らついていたと聞きます。どれほど怖かっただろう、どれほど寒かっただろう。大川小学校は震災の爪痕が激しく、校舎は柱を残して全て空洞になり、校舎と校舎を繋いでいた渡り廊下のようなものは折れ、錆びた椅子が校舎の中にポツンとあります。あの椅子に座り毎日授業を受けていたんだろう。全壊した体育館の壁には子供達が書いたのか、宮沢賢治の銀河鉄道の絵や世界中の人が手を繋いでいる絵が残っておりました。きっとこの絵は子供達の夢や希望をのせて書いた絵なのだろうと思うと涙が出ます。
 お釈迦様は「この法華経は一切の苦悩を取り除く」とおっしゃっています。法要が始まり、お経をあげる中で、どうかお釈迦様の思い・慈悲がこの地に、草花に、石ころに染みわたり、眠られている皆さんを包み込んで欲しいと声を上げました。ふと慰霊碑に目を向けると寒い冬の時期だからなのか、お地蔵さんに帽子とマフラーが巻かれております。この心優しい土地の方々が幸せになりますように、震災で亡くなられた方々に安心が得られますように、無事であった方々、復興に向けて頑張っている方々が健康でありますように、と願わずにはいられませんでした。
 法要後に森部上人がお集まりの方々に「私達が普段生きている1日はお亡くなりになられた方がどうしても生きたかった1日かもしれません。亡くなられた方々を無くして私達は生きられません。今ある命に合掌をしなければなりません。」と述べられました。
 法要後、武山興業にてお茶を頂きました。武山興業の社員の方も大切な御家族を亡くされている方がいらっしゃいます。また、以前勤められていた方で奥様を失い心に穴が空いてしまったかのように無気力になってしまった方々もいると聞きました。そんな状況でも社長はおっしゃいました。「私達が生かされていることには理由がある、供養を続け、町を復興させる使命がある」目には力強い光が宿っていました。
 法要を行う場所に行った時に思いました。こんな場所まで津波がきたなんて、と。海からとても離れている場所です。では当時どう行動することが正しかったのでしょうか。私は東京で震災を体験しましたが、とにかく動けませんでした。東北で被害に遭われたかたはなおのことそうだったのだと思います。あまりの恐怖に動けなかったのだと。確かに山を登れば助かった命は多いはずです。でも、それは結果論であって・・・。
 生きるためにその時の最善を尽くしたのは間違いありません。
 最後に、復興はまだまだ終わっていません。まだ仮設住宅で暮らしている方も多くいらっしゃいます。工事の音が静かな土地に響きます。表向きは土地が綺麗になっても人の心は簡単には立ち直れません。でも、復興の為に日々励んでいる方がいます。武山興業の社員さんに「人の命と人の財産を守ることが建設業の役割である。誇りをもって一致団結の時だと感じる」と述べられている方がいます。一生懸命歩まれている方が多い、そんな一人一人の心から希望は生れてくるのではないでしょうか。復興の為に身を削り歩んでいるすべての方に心からの敬意を表して、皆様の健康を願い、終わりとさせていただきます。

蓮華が咲きました

2016年8月1日

池に蓮華が咲きました

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これは檀信徒の片桐良和さんが丹精に育てていたものです。残念ながら良和さんは本年急逝してしまって、育てられなくなってしまい、ご家族から蓮華を寄贈したいというお申し出がありました。当山の池はそのままにしておく(放置?)のを原則としているので、何の手入れもできませんが、それでも良ければということでお預かりし、鉢をそのまま池に入れておいたところ、まさにお盆にあわせたかのごとく、見事な花を咲かせました。奇しくもご本人の新盆法要が厳修された日でした。
またその鉢のなかで同様に育てていたメダカも放流されました。白いメダカやオレンジ色、さらには透明で尾っぽのところが青く光っているメダカもいます。
覗いてみると小さなメダカたちが泳いでいるので、自然に孵化して増えているようです。
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台湾からのお客様

2016年7月10日

法鼓山中華仏学研究所

台湾の法鼓山中華仏学研究所の方々が来寺されました。
法鼓山創立者の聖厳法師(1930-2009)は、先代と親交があり、客殿完成の時にもたくさんの信者さんと共においで下さいました。

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このたび聖厳法師の文物史料デジタルアーカイブおよび理念普及計画というプロジェクトの基に、ご訪問させていただくことができ、心より厚く御礼申し上げます。
聖厳師父が留学中大変お世話になりました本納寺に、プロジェクトのメンバーたちが自ら訪問いたすことができましたこと、とても貴重な経験となり、史料収集、普及計画にとてもプラスになりました。
今後も本納寺におかれましては、ますますご隆昌のこととお祈り申し上げます。
中華仏学研究所所長 釈果暉

※以前本納寺前のアパートに住み、立正大学に留学していた台湾僧の釈果暉(洪鴻榮)師が所長になっていました。

法鼓山
法鼓山の創立者の聖厳法師は
「法鼓山には大きな資金力はない、しかしその影響力は深遠で広大である。これは私達の特色だ。法鼓山は社会のために良好な気風をもたらし、有益な修行方法を提供する。これは私達が貢献できることだ。」と話されている。 僧団は1980年に創立された。
設立の主旨は仏教教団を組織し、青年僧の育成、法鼓山の理念を教え広め、よってこの世の浄土の理想を実現することにある。
この組織の主要な活動は研究と開発、各種座禅修行の推進、仏学教育、思いやりの心の教育と普及などである。法鼓山の僧団は聖厳法師を精神的な指導者とし、その創立は1977年に聖厳法師が米国から台湾に帰国し、中華仏教文化館と農禅寺を引き継いだ時に始まる。仏法を広め、将来三宝の住職となる青年僧の人材育成のために、農禅寺は1979年8月に「三学研修院」として成立した。成員は当初10人であった。その後、僧俗四衆の成員が増加した。「法鼓山世界仏教教育園区」の竣工によって、現在この中心組織も法鼓山に移った。聖厳法師は2009年に御遷化されました。
「法鼓」この言葉は、仏典中しばしば現われる言葉である。
たとえば《妙法蓮華経》では「惟願天人尊,轉無上法輪,撃於大法鼓,而吹大法螺,普及大法雨,度無量衆生,我等咸歸請,當演深遠音。」で、「撃大法鼓」とは、仏法の太鼓の響きは人々の心を浄化し、人々の心に安楽と平静をもたらすのである。法鼓山の地理的な形状は、太鼓が横たえられたようで、経典の比喩に基づき鼓に似た形から「法鼓山」と命名された。
法鼓山の宝物に「法華の鐘」がある。2006年12月23日に、法鼓山鐘楼落成記念式典が行われた。法華の鐘の材質は青銅の鋳造で、重量254.5トン、高さ4.5メートル、直径2.6 メートル、最も厚い箇所は29.6センチメートルで、唐様式の梵鐘である。2004年5月に日本の「老子株式会社」に鋳造を依頼し、2005年11月に完成した。「法華の鐘」には梵鐘の内側外側に《妙法蓮華経》1部、69,636文字と、《大悲呪》1巻、424文字が鋳込まれ、「多宝塔と双仏陀坐像」が描かれている。
〈ウィキペディアより抜粋〉

寺ねこレイ

2016年6月6日

大きくなりました

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二年前の夏、墓地の掃除をしていたときに拾った、生まれたばかりの猫の赤ちゃん。今ではこんなに大きくなりました。
猫パンチご希望の方はお声がけください。

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ForKids book

2016年5月4日

ForKids bookができました

forkidsbook長年にわたりご好評いただいておりましたForKidsが終了することになりました。
子供たちに仏さまやご先祖さまに親しみを持ってもらえたら・・・
お孫さん・お子さんなどとのコミュニケーションツールになれば・・・
という思いで始まった ForKids。
2009(平成21)年夏に開始してから2015(平成27)年まで7年間、夏冬と年2回発行してきました。

終了するにあたり、今までの14話を一冊にまとめた本を制作しました。
檀信徒には春彼岸の際、配布しましたが、まだすこし在庫があります。

御衣黄押し花

2016年4月10日

御衣黄押し花

お檀家のYさんの奥様、和江さんから御衣黄の押し花の額を御奉納頂きました。
大玄関に飾ってあるので、既にご覧になった方もいらっしゃるでしょう。
春らしい色合いの背景に、本納寺門前にある御衣黄をあしらったとても素敵な作品です。おかげで玄関がとても明るくなりました。
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※今門前の御衣黄が見頃です。

ギョイコウ(御衣黄)は、サクラの栽培品種である。開花時期はソメイヨシノより遅めの4月中旬~下旬頃(東京や京都など)。 大きさは中輪~大輪の八重咲き(花弁数は10~15程度)で、花弁は肉厚で外側に反り返る。色は白色から淡緑色である。中心部に紅色の条線があり、開花時には目立たないが、次第に中心部から赤みが増してきて(紅変)、散る頃にはかなり赤くなる。場所や時期によって、花の大きさや色合いなどに大きな差がある。緑色の花を咲かせ、この緑色は葉緑体によるもので、同じく葉緑体をもつ鬱金も若干緑色がかかるのだが、その量が少 ないためにもっと薄い淡黄色である。また濃緑色の筋の部分には、鬱金の花にはない気孔も裏側に存在する。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

仲崇霖作品展

2015年5月9日

仲崇霖作品展

写経会・書道教室の講師をお務めいただいている仲先生の作品展が日中友好会館美術館で開催されています。素晴らしい作品ばかりで、当山の書院に掛けられていた作品も展示されていました。

 

5月7日(木)から5月13日(水)まで「最終日は15時終了」

日中友好会館 文京区後楽1−5−3

 

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九老僧再々興

2014年3月22日

『九老僧制作にあたって』

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平成25年4月のとある日。本納寺住職が私の工房へ来られ、日蓮聖人の孫弟子にあたる九人の老僧のお像=九老僧(くろうそう)の制作のお話しをいただきました。お話しを伺ってみると、本納寺の門前には『九老僧安置』と明記された大きな石塔が存在するのですが、九老僧のお像がお寺のどこを探しても見当たらないという何とも不思議な経緯でした。
さらに、九老僧に関する史料というのは皆無に等しいということでもあり、私は制作を開始する前に九老僧一人ひとりがどのような個性を持った人物であるか、また九人がそれぞれどのような関係であったかを知ることから始めなければならないと感じました。4月の終わり、住職からご紹介をいただき日蓮宗大本山池上本門寺様の霊寶殿担当安藤様をお訪ねし、そこで大変興味深いお話しを伺いました。
まず一つ目に、九老僧に関する史料及び御像はほとんど残されていないとのこと。
また二つ目に、九老僧それぞれの思想の違いもあり、一同に祀られることはなかったであろう、とのことでした。
そこで私は、今回の制作に於いては史料が少なく、それぞれの人物を実在していた時の姿で忠実に表わすのは難しく、またそれを追い求めてもあまり意味のないことと判断し、ある一つの世界を形として現せたら、という思いでお像の制作を開始いたしました。 春に育ち、夏に耐え、秋に想い、冬に考え、それを繰り返し成長し、調和状態になって行くように、九老僧一人ひとりがそれぞれの役割を持ち、ある方は春であり、ある方は夏であり、またある方は秋、冬…。そしてある方が太陽、そして月、と言ったように力(エネルギー)に差はあっても、全てが揃ってはじめて一つの世界が生まれてくるようなイメージで十体の御像(日朗上人含む)を制作いたしました。そこに、元々お祀りされておられた日蓮聖人が中心となり、一つの曼荼羅の世界が出来上がったかと思います。 平成25年10月17日「宗祖御日蓮聖人第732遠忌御報恩会」が本納寺本堂にて厳粛に執り行われました。当日、仕上がったばかりの九老僧を前に、住職が「これは気合いを入れて開眼しなくては」と仰いました。この言葉を聞いた時、私は住職の心の中に九老僧が納まってくれたのだ、とホッとしたのが正直な気持ちでした。
開式の時刻を伝える鐘が鳴り響くと、本堂にはお檀家さんや地域の方々が続々と集まってきて下さいました。私の知人や仏像彫刻教室の生徒さんたちもお祝いに駆けつけてくれ、嬉しさもひとしおでした。
法要が無事に終わり、お檀家さんが用意して下さった「すいとん」の味は忘れられないものとなりました。気のせいでしょうか。住職の娘さんが運んでくださった私のすいとんは他の方よりも多く具が入っているような気がしてなりませんでした。
今回多くの方々に御焼香をして頂き、住職をはじめ式衆の魂のこもった開眼供養を受けた九老僧の姿は、私の胸に深く刻まれることとなりました。九老僧がこれから先、多くの方々の御心に寄り添って下さることをご祈念いたします。
仏師 藤田 良夫

平成25年10月17日。この日は私にとって忘れることの出来ない日となりました。
日蓮大聖人の732遠忌の法要当日、沢山の御供え物が並べられ、煌びやかな御本堂に安置された九老僧は、すでに私たちの手を離れ、菩薩としての役割を遂行しようとしておられるかのようなお顔でした。住職に始まり、檀信徒の皆様お一人おひとりにご焼香いただき、立ち昇る煙を見上げながらふと目をやると、日蓮聖人のお顔は微笑んでいるかのようでした。法要も終盤にさしかかり、住職の木剣加持が本堂に鳴り響くと、私は肩の力が抜け、心が浄化されてゆくのを感じました。全てのものへの感謝の気持ちが溢れ、涙を止めることが出来ませんでした。
この度の九老僧制作にあたりましては、その史料の少なさゆえ各人の性質・性格的特徴からお顔の表情を推定することが難しく、最後まで「これで良いのか」という自身への問いかけが続きました。それだけにあの日、皆様に『再興された九老僧』に手を合わせ受け入れていただきましたことは、何よりも嬉しいことでした。
これから何十年、何百年先までも九老僧が檀信徒の皆様のお心に寄り添い、この雑司が谷の地を守護して下さいますよう切にお祈りいたします。
仏師 岩﨑 真理

【藤田良夫 略歴】
1922年(昭30)栃木県真岡市生まれ。1970年(昭45)仏師・渡邉貞光氏に弟子入り。1975年(昭50)独立。
◎近年の主な制作例
1995年(平7)天照大神 像高30センチ(北海道)・1995年(平7)日蓮聖人座像 像高1メートル(東京)・1997年(平9)大黒天立像 像高1メートル(京都)・2001年(平13)薬師三尊立像 像高1メートル(静岡)・2003年(平15)鬼子母神立像 像高2メートル(四国)・2008年(平20)釈迦如来座像 像高1メートル20センチ(千葉)・2009年(平21)龍神尊立像 像高1メートル50センチ(熊本)。
◎個展・受賞歴
2010年(平22)金沢・髙木糀商店にて二人展『素心仏展』開催。2012年(平24)東京・林泉寺にて二人展 『春の林泉寺展』開催。2012年(平24)一般社団法人 日本画府第五九回公募展に初入選。「浮現観音」が奨励賞受賞、及び「気付き観音」入選。2013年(平25)一般社団法人 日本画府第60回記念日府展にて「毘沙門天」、及び「気付き観音」入選。2013年(平25)横浜髙島屋および日本橋髙島屋にて二人展。平成25年3月には宮城県石巻市を訪れ、被災した方々に小さな仏様約70体を手渡す。毎週日曜日には仏像彫刻教室を開催し、地域住民を対象とした生涯学習活動を行っている。
【岩﨑真理 略歴】
1980(昭55)愛知県名古屋市生まれ。2008年(平20) 仏師・藤田良夫氏に弟子入り。2009年(平21)早稲田大学大学院教育学研究科後期博士後期課程単位取得退学。2010年(平22)聖観音立像 像高六○センチ(愛知・助正院様)
◎個展・受賞歴
2008年(平20)三愚舎ぎゃらりー『雑司が谷・鬼子母神界隈を描く展』にて「子安鬼子母神」画廊賞受賞。2008年(平20)三愚舎ぎゃらりー『雑司が谷・鬼子母神界隈を描く展Ⅱ』 にて「子安鬼子母神・文月」を特別出品。2009年(平21)一般社団法人 日本画府第五六回公募展に初出品。「子安鬼子母神」が初入選。2010年(平22)一般社団法人 日本画府第五七回公募展に「夢想観音」入選、及び新人賞受賞。2010年(平22)金沢・髙木糀商店にて二人展『素心仏展』開催。2012年(平24)東京・林泉寺にて二人展『春の林泉寺展』開催。2012年(平24)一般社団法人 日本画府第五九回公募展にて「花かんのん姉妹」入選、及びアート企画賞受賞。2013年(平25一般社団法人 日本画府第六○回記念日府展にて「いのち」入選。2013年(平25)横浜髙島屋および日本橋髙島屋にて二人展。平成25年3月には師匠の藤田と共に宮城県石巻市を訪れ、被災した方々に小さな仏様約70体を手渡す。 

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