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カテゴリー「その他」の記事

コロナ禍であっても御衣黄満開

2020年5月25日

コロナ禍であっても御衣黄満開

緊急事態宣言発令中の外出自粛であったので、開花情報をブログ等で御案内しなかったのですが、今年も門前の御衣黄が見事に咲いておりました。毎年いつも多くの方が遠方より花見に訪れていたので残念です。また来年に。

春季彼岸会中止

2020年4月8日

春季彼岸会中止


新型コロナウイルス感染拡大と各所での活動自粛を鑑み、当山でも対応を迫られる状況になりました。
それを受け、参列者の安全を考慮し、このたびの春季彼岸会を中止いたしました。
皆様のご先祖春季彼岸供養塔婆は、いつも行事の時には手伝ってくれるサッカー部のOBたちが手分けして各墓地に建立してくれました。そしてその後は古塔婆を抜いてくれて、古塔婆置きもきれいに整頓してくれました。
※御降誕800年慶讃本堂瓦葺替工事は順調に遂行されています。
※令和2年6月14日(日曜日)に宗祖御降誕800年・本堂瓦葺替落成慶讃記念法要を予定しておりましたが、延期いたします。
延期日程につきましては、今後の状況に応じて決定し、改めて御案内いたします。
どうかご理解の上、ご了承ください。

「その六秒が 人生を狂わせる」アンガーマネジメント

2019年12月9日

お会式−アンガーマネジメント講座

「その六秒が 人生を狂わせる」 原 洋子先生


 今年のお会式は仮本堂で行われ、法要の後はアンガーマネージメント講座でした。興味はあるけどお堅い内容かな?と思っていたところ、これが予想に反してとても面白かったのです。
 アンガーマネージメントとは「怒らないこと」ではなく、「怒る必要のあることは上手に怒り、怒る必要のないことは怒らないようになること」「怒りで後悔しないこと」だそうです。ここから具体的に自分の「怒り」の頻度や強度、「怒り」が人に向かうのか自分に向かうのかなどついて考えていきます。
 最近どんなことに怒りを感じましたか?という問いかけに、参加者は各自この一週間を思い起こしてみました。怒りは、心配、不安、悲しい、苦しい、寂しいなどの第一次感情から来る第二次感情とのこと。言われてみればそうです。家族が遅い時間になっても帰って来ない。心配します。不安になります。そしていざ家族が帰ってきたとき「なんでこんなに遅いのよ!」と怒りをぶつけてしまいます。根本は「心配、不安」なのですから、「よかったー、心配したんだよ」など、自分の感情をきちんと伝える言葉を持つと良いということなのです。
 私たちを怒らせるものの正体は、理想と現実のギャップ。こうあるべき、というところからはずれると怒りが生まれるわけです。
反射的に対応しない。売り言葉に買い言葉になってしまいます。怒りのピークは長くて6秒なので、ピークでないときに「怒る」と決めて怒る。この6秒の間に、今の自分の怒りの温度の高低を考えてみる。怒りを静めるアイテムを持つ・・・など、原先生のお話しは具体例を挙げてわかりやすく簡潔に進んで行きます。
 人それぞれ、ここまでなら許せるという境界線があります。その「まあ許せる」範囲を広げていくこと、そしてそれを安定させること(相手や自分の機嫌によって境界線を変えない)、そして境界線を人に見せることが大事。こうやって言葉や図解で説明されるとストンと腑に落ちます。
 怒りは立場の強い人から弱い人に流れるのが特徴で、どこかで我慢した怒りは他人に八つ当たりやいじめという形になって出てくる、というお話が、昨今の児童虐待や学校でのいじめ問題などを思い起こさせました。
 先生は、様々な年代に講演なさっているとのことです。多くの人がこのお話を聞き、意識を持つだけでも(実践はなかなか難しいですが・・・)、社会全体がもう少し寛容に穏やかになるのではないかなあと思った夜でした。

「本堂耐震ならびに屋根瓦葺替工事」開始

2019年11月5日

宗祖日蓮大聖人御降誕八〇〇年慶讃記念事業

10月より瓦葺替工事がはじまりました。 しばらくの間、本堂を閉め、客殿書院二階を仮本堂としてご法事を行います。 また、本堂の周囲には足場が組まれており、お墓への通路の見通しが悪くなっております。お気をつけてお参りください。

 

令和元年お会式

2019年10月7日

本納寺お会式 10月17日 18時開式

宗祖日蓮大聖人738遠忌御報恩法要

奉納講演 

アンガーマネジメント講座<怒りを防御する心理プログラム>

「その六秒が 人生を狂わせる」 原 洋子先生

「人の怒りの頂点は、最初の六秒だと言われています」

アンガーマネジメントは、怒りを予防し、制御するための心理療法プログラムであり、感情と上手に付き合うための心理教育、心理トレーニングです。

 

昨今の世の中は、些細なことが原因で解決できたはずの問題が、その時のちょとした発言や人柄・態度などによって、相手の感情を害し、個人的な憎しみにまで発展し問題解決を難しくしているケースが多くあります。そのような無益なトラブルを避けるために感情の処理の仕方などを学び、トラブルを未然に防ぐためのスキルアップ講座。

今アンガーマネジメントは、企業研修・医療福祉・青少年教育・人間関係カウンセリング・アスリートのメンタルトレーニングの分野で幅広く活用されています。

 

 

 

【講師紹介】

原 洋子(はらようこ)キリンビールの総務・広報を務めた後、人材育成業務に従事。その後IT企業や教育機関などで新入社員研修の企画やプログラムの構築・統括を担当。2019年より研修講師として独立。コミュニケーションスキルを磨くワークショップなどを開催し、また様々な学校・企業でアンガーマネジメント講座をおこなっている。

 

[資格]国家資格キャリアコンサルタント・日本キャリア開発協会、一般社団法人日本アンガーマネジメント協会・アンガーマネジメントファシリテーター、 社団法人 日本産業訓練協会認定 接遇訓練指導員 他

 

 

ナスすこし

2019年8月13日

「江戸東京野菜雑司ヶ谷ナスをまた雑司ヶ谷で」

「江戸東京野菜雑司ヶ谷ナスをまた雑司ヶ谷で」という思いから、今年も昨年に続き境内門脇で栽培を始めましたが、夏初めの天候不順のせいか、なかなかうまく育ちませんでした。今年こそお盆のお供えとして収穫できることを楽しみにしていたのですが…。

修行体験-アイドルグループ[アメフラっシ]

2019年7月3日

「アメフラっシ」修行体験

 先日、アイドルグループ「アメフラっシ(ももクロの妹分)」の愛来さんと市川優月さんが修行体験に本納寺を訪れました。

 本納寺BLOGの中学生の修行体験レポートをネット検索で見つけたことがきっかけです。

 唱題行・写経・廊下の雑巾がけなど、普段やったことがないであろう様々な寺の日常を体験してもらいました。二人は常にテンション高く元気いっぱい。アイドルは大変です。正座の経験の少ない今どきの若者ですから、唱題行では当然もぞもぞ落ち着きません。痛いのを我慢して、よく頑張りました。

 きっと正座で痛い思いをしただけ、写経で心を磨いた分だけ、掃除できれいにしただけ、清浄(しょうじょう)になったことでしょう。そして今回の体験が「アメフラっシ」ブレイクの一助になれば、当山としても嬉しいかぎりです。

アメフラっシ 公式サイト – AMEFURASSHI OFFICIAL WEBSITE –

 

『お題目結縁瓦』奉納募集

2019年3月18日

 

 

百年に一度しかない屋根の葺き替えにあたり、瓦奉納の募集をいたします。

ご奉納いただいた瓦の裏面にはお題目が書かれており、そこにお名前ならびに祈願または供養内容を墨で入れ、祈念いたします。

奉納された「瓦」は、今後百年間は残り、永代に顕彰され、また日々お経が届くことになります。

このたびの機会・ご縁が、本堂の瓦として子や孫の世代へ力強く継承できますように願う次第です。

ご協賛を謹んでお願い申し上げます。

 

○申し込み方法  本納寺 「瓦」奉納申込書PDF

申込用紙記載の上、本納寺の受付または郵送/FAX/メールにてお申し込みください。

・Address : 171−0032 東京都豊島区雑司が谷3−19−14

・TEL : 03−3971−4384  FAX : 03-3971-4513

・Mail : myo-eizan@honoji.or.jp

パンダ四天王

2019年1月8日

パンダ四天王がやってきました


住職は子供のころから大のパンダ好き。

五年前、本納寺九老僧の仏師、藤田良夫師に「パンダ好きなら是非」と勧められて行った日本橋高島屋のギャラリー。出品されていたパンダ四天王に一目惚れしたものの、当時はちょっと高くて手が届きませんでした。

それでもずっと忘れられず、住職が五年貯めたお小遣いをはたいて、再会が叶いました。

大玄関にそれぞれ四方に向かい列座してかわいくお出迎え、守護してくれています。


阿久津優 作

https://akutsu-yu-panda-wood-sculpture.jimdo.com

「法華経版木」の再摺

2018年8月15日

法華経版木が再摺されました



本納寺の内玄関に飾られている法華経の版木と、本堂辨財天像の脇に置いてある版木を、このたび再摺いたしました。
お身内のご法事で寺においでになった、立正大学仏教学部学部長の寺尾英智先生に、法華経版木再摺の構想をお話しし見て頂いたところ、「あまり古くなると摺ることができなくなってしまうから、できるうちに」」と勧めてくださったことがきっかけとなりました。先生は、お忙しいにもかかわらず、この版木の年代や特徴なども調べてくださるとのこと。詳しいことが判明したら、また寺報にてご報告いたします。
作業は目白のアダチ版画研究所に依頼しました。
今回再摺された法華経は大玄関に飾ってあります。

まだ調査中ですが、現在わかっていることは以下のとおり。
・版木の本文(読み仮名)の特徴は「慈海版」という版木の特徴と一致する(先々代の『法華版経の研究』を参照)
・手元にある天保の「慈海版」の写真と版面を照合した結果、形態は一致したが、文字の形の細部に小異がみられる
・「慈海版」版木には元禄版・天保版が知られるが、ほかにも元治版や明治版が存在するようである
・以上の事柄から、天保版以外の「慈海版」である可能性が高い。確定するには元禄版をはじめとする諸版との詳細な照合が必要である

ナスはじめました

2018年6月12日

江戸東京野菜「雑司ヶ谷ナス」


 昨夏のことです。「雑司ヶ谷ナスについて教えてほしい」と、高校生が訪ねて来ました。私は、「雑司ヶ谷ナス」という名称を聞くのも初めてだし、何も知りませんでした。
そこで、その場で学生とPCで調べてみたところ、江戸東京野菜のひとつに「雑司ヶ谷ナス」というものがあることがわかりました。早速JAに電話をかけ、江戸東京野菜に詳しい担当の方に話をきくことができました。

 江戸東京野菜とは、江戸時代から東京に至る中で、江戸市中や近郊で栽培されてきた野菜(練馬大根・吉祥寺の東京うど・新宿の内藤唐辛子など)のことです。子どもでも食べやすいように 品種改良されている現代の野菜と異なり、 野菜本来の味を楽しむことができます。

「雑司ヶ谷ナス」もそのひとつで、別名「山ナス」と呼ばれ、江戸から大正時代にかけて雑司ヶ谷地区一帯で栽培されていました。
現在、豊島区といえば池袋副都心のイメージで、農業とは無縁な感じがしますが、かつては農業が盛んに行なわれており、江戸時代、徳川幕府に献上されていた記録も残っています。

 JA東京あおばでは、農業生物資源ジーンバンクからタネを取り寄せて栽培を始め「雑司ヶ谷ナス」を復活させました。現在は練馬や板橋の一部の農家が、少量ながら栽培をしているとのこと。
そこで「雑司ヶ谷ナスをまた雑司ヶ谷で」という思いから、当山の門脇で栽培を始めました。お盆のお供えにしたいと思っています。なにぶん素人なので、上手く育つかわかりませんが、収穫できる日を楽しみに水やりをしています。
 
このナスは、小ぶりで皮がかたく、味は甘い。熱を加えると、とろみが出るのが特徴だそうです。

Learn Buddhism

2018年5月2日

仏教を学びましょう

 先日、池袋のインターナショナルスクールから17・18歳の生徒に向けての講演(授業)の依頼を受けました。
 学校では、民族と文化の週間ということで、殊に仏教についてお話してほしいとのことでした。
 インターナショナルスクールには、様々な国籍、またキリスト教・イスラム教の生徒も多くいると聞き、どうお話したものかと困惑しましたが、いざ始まってみると、みんな積極的で元気がよく、こちらからの問いかけにどんどん反応してくれました。ワイワイ笑いながらの講演会となり、あっという間に終了時間でした。良い機会を頂き、こちらにとっても大変勉強になりました。

東日本大震災七回忌法要

2017年5月1日

まだまだ復興は終わっていない 影山海雄  

 ¦¦まだまだ復興は終わっていない¦¦
 武山興業の社長がおっしゃった一言を重く受け止める今回の慰霊法要でした。
 
平成29年2月22日、本納寺の住職を中心として、日蓮宗教師4名で東日本大震災における犠牲者慰霊のために宮城県石巻市を訪れました。石巻市に構える武山興業は本納寺の御檀家さんで、平成23年の東日本大震災において甚大な被害を受けました。その直後から、この一行は毎年石巻を慰霊の為に訪れており、今回が6回目となります。
仙台駅からレンタカーを借り、高速を降りて「上品(じょうぼん)の郷」という道の駅へ。今回の法要に使用するもの(お米やお花等)を買いお昼を食べました。私は天ぷら蕎麦を頂きましたが、隣の上人は海藻のたっぷり入ったラーメン。やっぱり現地の特産物の入ったものにすれば良かった・・・(天ぷらが石巻自慢の野菜でしたらすいません!)と思いつつも美味しく頂きました。
その後、武山興業にお邪魔して衣に着替えをさせて頂きました。流れの穏やかな北上川沿いに位置する武山興業は従業員の皆様も穏やかな雰囲気で温かく迎えて下さいました。
この度慰霊法要をさせて頂く場所は以下です。
・旧北上総合支所跡
・大川小学校慰霊塔
・旧武山邸跡
・日和山(ひよりやま)山頂
 武山興業から法要の場所までの道中、10メートル以上の高さはあると思われる堤防がたっておりました。「毎年景色が変わっていくな・・・」とつぶやく本納寺住職の言葉が印象的です。復興が少しずつではありますが、進んでいる姿を見ることが出来ました。
 この度は、最初の2か所で事前に法要を行う旨が告知されていた(新聞にて)こともあり既に会場にはご遺族の方や土地の方がいらっしゃっています。2月の、肌を刺すようなからっ風が吹く中、寒い寒いと感じておりましたが、ふと当時のことを想像します。あの日も雪が散らついていたと聞きます。どれほど怖かっただろう、どれほど寒かっただろう。大川小学校は震災の爪痕が激しく、校舎は柱を残して全て空洞になり、校舎と校舎を繋いでいた渡り廊下のようなものは折れ、錆びた椅子が校舎の中にポツンとあります。あの椅子に座り毎日授業を受けていたんだろう。全壊した体育館の壁には子供達が書いたのか、宮沢賢治の銀河鉄道の絵や世界中の人が手を繋いでいる絵が残っておりました。きっとこの絵は子供達の夢や希望をのせて書いた絵なのだろうと思うと涙が出ます。
 お釈迦様は「この法華経は一切の苦悩を取り除く」とおっしゃっています。法要が始まり、お経をあげる中で、どうかお釈迦様の思い・慈悲がこの地に、草花に、石ころに染みわたり、眠られている皆さんを包み込んで欲しいと声を上げました。ふと慰霊碑に目を向けると寒い冬の時期だからなのか、お地蔵さんに帽子とマフラーが巻かれております。この心優しい土地の方々が幸せになりますように、震災で亡くなられた方々に安心が得られますように、無事であった方々、復興に向けて頑張っている方々が健康でありますように、と願わずにはいられませんでした。
 法要後に森部上人がお集まりの方々に「私達が普段生きている1日はお亡くなりになられた方がどうしても生きたかった1日かもしれません。亡くなられた方々を無くして私達は生きられません。今ある命に合掌をしなければなりません。」と述べられました。
 法要後、武山興業にてお茶を頂きました。武山興業の社員の方も大切な御家族を亡くされている方がいらっしゃいます。また、以前勤められていた方で奥様を失い心に穴が空いてしまったかのように無気力になってしまった方々もいると聞きました。そんな状況でも社長はおっしゃいました。「私達が生かされていることには理由がある、供養を続け、町を復興させる使命がある」目には力強い光が宿っていました。
 法要を行う場所に行った時に思いました。こんな場所まで津波がきたなんて、と。海からとても離れている場所です。では当時どう行動することが正しかったのでしょうか。私は東京で震災を体験しましたが、とにかく動けませんでした。東北で被害に遭われたかたはなおのことそうだったのだと思います。あまりの恐怖に動けなかったのだと。確かに山を登れば助かった命は多いはずです。でも、それは結果論であって・・・。
 生きるためにその時の最善を尽くしたのは間違いありません。
 最後に、復興はまだまだ終わっていません。まだ仮設住宅で暮らしている方も多くいらっしゃいます。工事の音が静かな土地に響きます。表向きは土地が綺麗になっても人の心は簡単には立ち直れません。でも、復興の為に日々励んでいる方がいます。武山興業の社員さんに「人の命と人の財産を守ることが建設業の役割である。誇りをもって一致団結の時だと感じる」と述べられている方がいます。一生懸命歩まれている方が多い、そんな一人一人の心から希望は生れてくるのではないでしょうか。復興の為に身を削り歩んでいるすべての方に心からの敬意を表して、皆様の健康を願い、終わりとさせていただきます。

いわきスタディーツアー3

2017年4月10日

原発を考える


 今回いわき市に初めて行きましたが、車で少し走ると火力発電所、ソーラーパネルの畑、海の彼方に風力発電のお試し風車、そして原子力発電所・・・。
 恥ずかしながら、こんなに電力一色の町とは知りませんでした。
 爆発がなければ普段の生活が続いていたはずの方々の体験をいくつも聞き、「万が一にも事故はありません」という詭弁を弄して原子力発電所を稼働させてきた罪は、到底償えるものではないというのが一番の感想です。人間は、事故が起こったときに対応できるものだけ、責任を負えるものだけを作るべきなのだと思いました。
 「広い家に大家族で住んでいたが、アパートと仮設住宅に分散するしかなかった」、「地域の帰宅がOKになっても、子供の学校の関係で避難先に住み続けることを選んだ」など、被災した方から直接お話を聞いて胸が詰まりました。
 原発事故の怖さは、家はあっても放射性物質のためにもう住めないというところです。今回、富岡市、大熊市などの帰宅困難地域までバスで連れて行って頂きました。草がぼうぼうで誰もいない校庭、国道6号線路地入り口のバリケード、除染作業員しかいない町は異様でした。そこで生活していた人たちだけが消えているのですから。「除染が済んだから」と帰宅を促されても、もう元の町ではないのです。私だったら戻れないと思います。
 同じ様に考える多くの人々に「戻らないのはそちらの勝手だから補償金は打ち切り」という国や東電の対応は事故を引き起こした側が口にして良い言葉ではないでしょう。
事故は起きないから絶対安全といっておきながら、いざ事故が起こると対応しきれない。補償は言うまでもなく、爆発してしまった建物の後処理すら考慮されていなかったなんて。汚染水を保管するタンクも作り続けるしかないなんて、ばかばかしくて笑うしかありません。
 余談ですが、外国に住む姉に荷物を送ったとき、隙間にレトルト食品や、懐かしいであろう日本のお菓子をぎゅうぎゅう詰め込みました。地球の裏側まで行ったその荷物は、一ヶ月後、そのまま送り返されてきました。「日本からの食品は受け付けられません」というのが理由でした。福島の原発事故以降、この状態が続いています。姉によると「中身に食品が入っていなくても、箱に野菜の絵でも描いてあったらそれでアウト」だそうです。
世界の認識はそういうことなのです。チェルノブイリという地名を聞いて私たちが思い浮かべるイメージ、それが即ち福島、ひいては日本なのです。
 それでもまだ原発再稼働を推し進める理由が理解できません。
 一般的なメディアの報道からの情報からの知識程度で参加したスタディーツアー、目の当たりにした現実、伺ったお話がヘビー過ぎて受け止めきれていないのが実情です。平成28年1月28日(森部陽子記)

いわきスタディーツアー2

2017年3月21日

いわき「とりあえず置場」


夕食をとりながら積もる話をした後、彼から出てきたのが、今回の事故によって宿泊客が来なくなり、従業員の多くに旅館をやめてもらうしか無かったという話でした。当時120人ほどいた従業員が現在は25名だそうです。本当に辛い思いをしたと言っていました。従業員もまた被災者で、それぞれが大変な生活をしなければいけない時に、支えてあげられなかったことが何よりも辛かったと。
また「避難所で手伝いをしていた時に、障がいをもつお子さんのいる家族が避難所にいられなくなってしまった」という話も聞きました。避難生活で疲れがたまっていく中、子どもが騒いでしまい、余裕のなくなったお互いがギスギスしてきて、陰口をたたかれ、怒られ、結局は追い出されてしまったそうです。そこで、彼は郡山で一軒家を借り上げ、その家族を避難させたそうです。現在彼はそういった障がいをもつお子さんやその家族を支援するNPO法人を立ち上げ、支援しています。
いわき市内では至るところで黒や緑のシートがかぶった除染土の仮置場がありました。しかし仮置場といっても、今後どのように処分されるのかは決まっていない、ただの「とりあえず置場」です。また、地震・津波で倒壊し、放射線で汚染された家屋のがれきを焼却し、その灰を山に埋めて、その上からセメントでふさぎ、覆っている作業も目にしました。
これだけの被害があり、原発が安全ではないと分かった上、最終的な処分法も定まっていないのに、原発の再稼働なんてあり得ないと強く思います。
帰り道、いわき南部にある勿来(なこそ)火力発電所も見学しました。入り口に1トンの石炭の塊が置いてありました。軽自動車一台くらいの大きさです。一日に燃焼させる石炭の量が一万トン以上だそうで、地球のどこかで一日に軽自動車1万台分の穴を開けているということに驚きました。また技術が進んでいるとはいえ少なからずCO2を排出するため、温暖化に影響があるとのこと。日本ではもう石炭を取り尽くしてしまったから、海外からの輸入に頼っているのかと思っていたら、まだまだ日本には(常磐地区にも)石炭があるが採算を考えると輸入する方が安いからだということも聞きました。風力や水力による発電は少なく、それだけでは全く使用電力をまかなえないこと、ソーラーパネルもそれを生産すること事態、またそれをいつか処分することを考えると、決して地球に優しくないことなど、多くのことを学ぶことができました。
常磐道の脇には、高い鉄塔がならび関東まで送電線が続いていました。すべて関東で使われるためのものです。東北地方の福島(原子力・火力)で発電された電力は福島ではほとんど使用されません。自分たちが使うことのない電力を生産する施設のせいで、避難させられ大変な生活を強いられている福島の人々からみれば、何も考えずに無駄に電気を浪費する私たちの姿がどのように映っているのだろう。行きにも見たはずのこの景色を、自分がこのように捉えたことに、このスタディーツアーの意義を感じました。
平成29年1月24日 森部達彦記
 

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