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「2013年06月」の記事

IN CAMBODIA / VIETNAM 3

2013年6月26日

NPO法人「T・M良薬センター」が支援するカンボジアの小学校の校長先生、サリンさんにお会いしました。
アンコールを巡っていたときにも見かけたのですが、カンボジアの児童はみんな楽しそうでした。今は日本でいう義務教育と同じで、みんな教育が受けられます。ただ児童の多いところでは、一度に児童を受け入れることができず、午前と午後の二部制になっているそうです。
サリン校長は私より若い方でした。
私が「若いのに校長先生なんてすごいですね」と言うと、「この国には年配の人はあまりいないのです」との答えが返ってきました。

私が小学校中学校のとき、「カンボジアの難民」のニュースを耳にしました。テレビには裸に布を巻いただけの人々が映っていました。サリン校長は、まさにそのタイ国境に追いやられた難民だったそうです。
当時カンボジアを支配していたポル・ポトは「腐ったリンゴは、箱ごと捨てなくてはならない」と唱え、政治的反対者を弾圧しました。戦慄すべき地獄がこの世に現出したごとく、わずか4年間で総人口800万足らずのこの小さな国で、200万から300万近くの人間が虐殺されました。実に6割以上が殺されたことになります。
生き残った人々の心には、永久に拭い去ることの出来ぬ悲しみと苦痛が刻み込まれています。サリンさんのご両親もこの時に殺されたそうです。
サリン校長は「私たち若者が頑張らないとこの国はダメになる」とおっしゃっていました。<つづく>

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IN CAMBODIA / VIETNAM 2

2013年6月2日

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次の日、いよいよアンコール遺跡へ。
アンコール遺跡群は、現在のカンボジア王国の淵源となったクメール王朝の首都の跡で、この遺跡に特に大きく関わったとされるのはスールヤヴァルマン2世(1113-45年)とジャヤー ヴァルマン7世(1181-1201年)です。
スーリヤヴァルマン2世は特にアンコール・ワットの建設を行い、その死後30年ほど後に王に就いたとされるジャヤーヴァルマン7世はアンコール・トムの大部分を築いたとされています。
「アンコール」とは王都、「ワット」とは寺院を表す言葉で、アンコール遺跡群の中でも有数の大きさを誇る遺跡です。ここはヒンドゥー教の寺院で、中央祠堂にはヒンドゥー教の三大神のひとつヴィシュヌ神が祭られていました。 現代の我々が見ても巨大な建築物、昔の人はどうやってこの大きな石を積み上げたのでしょう。
壁面にはヒンドゥーを代表する「マハーバーラタ物語」を描いた、細かい美しい彫刻がされていて、人類の偉大さとその神秘さに魅了されました。
アンコール遺跡の中で最大なのは、アンコール・トムと呼ばれる城郭都市の遺跡で、バイヨン寺院や王宮などの複数の遺跡を内包しています。
東西南北に城門があって、東側には「勝利の門」と「死者の門」の二つがあります。
仏教徒であった7世王は、仏法によって国内の統治、平和を目指しバイヨンを創建しました。バイヨンは須弥山イメージして作られたといわれており、四面体観世音菩薩がいたるところにあって、このころから大乗仏教が影響していたことがうかがえました。
アンコール遺跡をめぐった後は、プレループという遺跡から夕日を眺め、翌早朝はアンコール・ワットから日の出を観賞。日々の慌ただしさを忘れる穏やかな時間の中で、ジャングルに沈む太陽とアンコール・ワットから昇る太陽に感動しました。<つづく>

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