2015年3月
« 2月   4月 »
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031  

アクセスカウンター

  • 224928今までのアクセス数:

カテゴリ

「2015年03月」の記事

佐渡団体参拝旅行2

2015年3月15日

本納寺佐渡団体参拝旅行に参加して

p-5  根本寺参拝の次は、聖人の佐渡における最初のお弟子であり、食料等を供養し続けられた阿仏坊上人が開基の蓮華王山妙宣寺へお参りした。
 広い境内と五重塔が素晴らしいこのお寺は開創の地から本間氏の居城であったこの地に移転してきたそうである。お堂に上がり貫首様のご導師でお経を唱え、ご法話を頂いた。阿仏坊ご夫妻の聖人への帰依・給仕、殊に聖人が身延に入られた後、阿仏坊上人は九十歳近いにも関わらず身延に三度もご訪問されており、その信仰心の強さと身体の頑健さに我が身もあやかりたいと願った。
 昼食後、聖人が赦免されるまでの二年間を過ごされ、『観心本尊抄』と『大曼荼羅』を著された一谷の草庵跡に建つ妙法華山妙照寺へ。実際に草庵があった小高い丘の中腹にある祖師堂へ案内され、急な階段を手すりにつかまりながら登り、「鏡御影のお祖師様」の前で貫首様ご導師のもとお経を唱えた。ご法話で、「佐渡始顕のご本尊」はすべての諸尊に南無が付く「総帰命のご本尊」だということを教えて頂いた。 七百数十年の時を隔て、日蓮聖人がおられた場所に我が身を置き、暫し感慨にふけった。
 二日目の最後は史跡佐渡金山で歴史好きの私にとってうれしい見学先である。江戸時代初期から何と平成元年まで約四百年間にわたり金及び銀を産出し続けた日本最大の金山。整備された坑道や資料館を巡るのに小一時間の見学時間は、私には余りに短かった。
 三日目、初日のコースであった「たらい船」遊覧をし、次の見学先であるトキの森公園へ行く途中で、聖人が赦免されて鎌倉へと戻られる時の旅立ちの港「真浦の津」を通ることが出来たのはうれしかった。
 現在の私達は両津港より新潟へ渡るが、その両津の丘の上に巨大な日蓮聖人像が建てられており、初日の予定が日程変更で佐渡を離れる直前でのお参りとなった。本納寺住職ご導師でお経を唱えたのが佐渡団参の最後の行程となり、誠に幕引きにふさわしく、これも日蓮聖人のお導きと内心法悦に浸った。(終)「檀信徒 Y・T」

p-6 p-7

佐渡団体参拝旅行

2015年3月4日

遅くなりましたが、団参レポートです。

 

本納寺佐渡団体参拝旅行に参加して

 

CIMG6989

 

 今年の本納寺団参は、長年お参りしたいと思っていた「佐渡」と知り、母から誘われた時、即座に参加を決めた。

 数日前からの懸念が現実のものとなり、台風十八号が関東を直撃した10月6日、上越新幹線は動いていたので新潟まで移動したが、乗船予定だったジェットホイルは運休。かろうじて出航した16時新潟港発のカーフェリーに乗り、4~5mの波の越佐海峡を越えた。

 日蓮聖人は寺泊で幾日も船待ちをされ、渡海の際は荒波にお題目を書かれて鎮められたという伝承がある。佐渡の聖人を偲ぶ今回の団参にはふさわしい幕開きと思った。

 翌日は台風一過のすばらしい快晴となり、まず佐渡での日蓮聖人第一の謫居(たっきょ)跡である塚原山根本寺へ向かった。塚原の三昧堂跡の戒壇塚を拝見し、その隣にある三昧堂でお経とご法話を頂戴した。「一遍でよいから心を込めてお題目を唱えましょう」というお言葉に、改めてお題目を大事にしなくてはと自らを戒めた。

 聖人がこの地におられたのは五ヶ月程とされるが、真冬の時期で風雪を凌ぐこともままならないお堂に住まわれ、食料も乏しい中を生き延びられたということは、まさに仏様のお加護なくしてはあり得ないことであろう。聖人が「法華経の行者」の自覚を持たれ、『開目抄』を著されたこの地に自分も立つことが出来て感激もひとしおであった。(つづく)「檀信徒 Y・T」

 

CIMG6995 CIMG6993

 

TOPへ戻る