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「2016年03月」の記事

石巻/松島 団体参拝旅行2

2016年3月22日

—震災を風化させてはならない—

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翌朝は、語り部さんのお話を聞きながら被災した現地を回るバスツアーからスタートです。ホテルからほんの少し走っただけで、広い草むらと茶色い盛り土しかないところに出ました。かつて町があったとはとても思えません。ちょっとした高台にある中学校の体育館の前で、ここを襲った津波の話を聞きました。初めの気象庁発表のアナウンスは「津波の高さは6メートル」でした。お年寄りたちは「それならチリ地震の時と変わらないから津波を見に行こう」と、避難していた体育館の2階から下りて、海がよく見える外へ出たそうです。そこへ予想以上の高さの津波が来て、結局体育館の1階の天井まで浸水したとのこと。私たちがいるこの駐車場は水没したわけで、身震いがしました。すぐ横の小山に避難していた方が撮った写真には、水面に浮かぶ体育館の2階部分だけがぽっかり写っているそうです。他にも、福祉施設の隣にある坂の上の高校の生徒が、お年寄りをおぶってロープで自分と結びつけ、坂を上り下りして30人近く避難させた話、病院ではエレベーターが止まったため、看護師さんたちが入院患者をシーツにくるんで安全な高さの所へ運んだが、数人は寒さで凍死してしまうという悲しいことになった話、最後まで避難を呼びかけて亡くなった防災対策本部の女性の話・・・。現場を見ながら聞くお話は、テレビのニュースや本で読むのとは違い、実感として胸に迫ってきます。語り部の方曰く「マニュアルはあくまでもマニュアル。経験やその場の判断で臨機応変の対応が必要」「その時その場のリーダーになる人いかんで生死が分かれる」。着の身着のまま逃げられたとしても東北の3月の寒さに耐えられたか。その時、自分は何ができるのか。他の人のことを思う余裕があるだろうか・・・。いろいろ考えさせられました。
このあとは松島の遊覧船、瑞巌寺(素敵だった参道の長い杉並木は残念ながら津波を被り消滅していました)、青葉城と、王道観光を楽しんで帰途につきました。 
震災から5年経ちましたが、まだ仮設住宅にお住まいの方もいます。きれいな景色の端々で多くの工事車両が行き交っています。バスで走った道も仮の道路でした。それでも今回お会いした石巻の皆さんは、元気いっぱいもてなしてくださいました。その笑顔が心に染みた旅でした。「森部陽子記」(終)

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石巻/松島 団体参拝旅行

2016年3月7日

—震災を風化させてはならない—

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被災地慰霊法要厳修
11月24日から25日と1泊2日で石巻団参に行って参りました。仙台駅からすぐの東北の本山、孝勝寺をお参りしてからバスで石巻へ向かいました。久円寺さんでお経をあげて頂いたあとは昼食。前日までお会式、お餅搗きとお忙しかったところへ大勢でお邪魔してしまいましたが、なんとお会式で振る舞ったというお汁粉、お雑煮、さらに寒天各種、お漬け物まで手作りの心づくしのお食事をご用意下さっていました。大奥様、奥様をはじめ、お手伝いの方々の笑顔いっぱい、楽しいお話いっぱいのおもてなしに一同感激でした。
午後は2ヶ所の被災地慰霊法要に参列です。本納寺住職は、毎年、同志のお上人と一緒に石巻の数カ所で慰霊法要を行っております。今回はお檀家の皆さんと共に…ということで団参の行き先が石巻になったわけです。
1ヶ所目の日和山公園へ向かう頃から雨が降り出し、一時は本降りに。どうなるかと思っていたら、法要が始まる直前にあがったのです。良かったねと言い合いながら、眼下の町に向かってお祈りいたしました。
見下ろす町にはまだまだ工事中の所もありました。海の手前の川にかかる大きな橋の上にいた人たちだけが助かったという話も聞きました。
次に行った大川小学校は、建物が震災当時のまま残され、津波の威力を感じました。遮るもののない河川敷に右側から強風が吹いてきます。準備の段階から法要に必要な道具が次々に飛ばされてしまうので、お上人たちは道具を手に持ちお灯明も消えてしまう中で法要を始めました。後方に用意されたパイプ椅子に座っている私たちも吹き付ける冷たい風に、だんだん右耳だけが痛くなってきました。その風が、ご祈祷が始まった途端ぴたっと止んだのです。不思議な気持ちで手を合わせました。
慰霊法要に必要な台や椅子など諸々を運びつつ帯同して下さったのは、本納寺のお檀家の武山さん、武山興業の社員の皆さんです。お陰さまで皆無事に参列することができました(武山興業は、震災当時、ご自身たちも甚大な被害を受けたにもかかわらず、壊滅した石巻の町に自衛隊が入れるように、3日間で川沿いの道を啓開した会社です)。
あと2ヶ所で慰霊法要がある住職たちとは一旦ここで別れ、私たちは武山興業の会社に少し寄らせて頂いたあと、南三陸のホテル観洋へ向かいました。このホテルは海に面しているため、部分的には被害に遭ったものの建物が壊れることがなかったので、在庫の食料をやりくりして多くの人を長期間受け入れたことで有名です。海が見わたせる露天風呂で温まったあとの食事の席には武山ご夫妻もおいで下さり、いろいろなお話が聞けて楽しいひとときとなりました。
「森部陽子記」(つづく)

 
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